日記

240218

 回顧することが近頃また多い。ただでさえ自分に欠けているものを持っている人の言動は気になってしまう。それが支配的パーソナリティに基づく自己アピールのスキルであって、関心と尊重とを報酬として開発された能力であるなら、なおさらだ。

 ひとは表面だけを見るわけでも、本性(というものがあれば、の話だが)を見極めようと努めるわけでもなく、その中間くらいの、ある程度可塑性のある文脈の部分にこそ頼っているのだと思う。決して浅くないがゆえにある種の洞察の要求を満たし、しかもはっきりとは言語化しがたく、取扱いが手間である。


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